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玉山国家公園商標

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玉山群峰線

八通関古道

八通関古道
八通関古道

玉山国家公園内には1000年前から人類が活動していた痕跡があります。また今に残る清朝統治時代の八通関古道や日本統治時代の八通関越嶺道路および関山越嶺道路などは、それぞれの時代の台湾政策を証明する重要な遺跡です。さらに園内には先住民であるブヌン族の集落が存在します。このように玉山国家公園は人間活動の豊かな環境を包括しています。

近代史の発展段階は八通関古道の建設前後で分れます。中央山脈以東の清朝統治時代に建設された「八通関古道」は拉庫拉庫渓の北岸に、日本統治時代に建設された「八通関越嶺道路」は南岸にそれぞれ位置し、大水窟ロッジ付近で交差します。中央山脈以西の両道路は数回交差しながら南投県信義郷東埔村まで続きます。

玉山管轄内の「八通関古道」と「八通関越嶺道路」の比較

名称 八通関古道 八通関越嶺道路
起点 南投県竹山(林圯埔) 南投県久美(楠仔脚万)
終点 花蓮市玉里(璞石閣) 花蓮市玉里(璞石閣)
工事時間 1875.01-1875.11 1919.06-1921.03
全長(華里) 265(152.64キロ) 115(125.44キロ)
使用年代 1875-1877 1921-1945
建設ルート計画 危険な地形を避けて道を開き、上下に起伏する急な斜面には石段を設けて通行しやすくしました。 等高線にそって緩やかに昇降させ、くぼ地には浮築橋を設けて二輪車の通行を便利にしました。
壁と道路の建設方法 現地の粘板岩を石材に「人」文字型の姫垣、または路肩の石堤を築きました。 中国人労働者で道路を補修し、現地の粘板岩を石材に「人」文字型の姫垣、または路肩の石堤を築きました。